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その特集が「デジタルメディアの新展開」。関心事項とも近いので、見本誌にひと通り目を通した。そのなかで、特に印象に残っているのが、地方紙のデジタル戦略だ。今まで不勉強であまり関心がなかったのだが、今回の特集で、地方紙のデジタル戦略に強く興味をもった。
この号には、朝日、毎日、読売各紙のデジタル化の紹介に加えて、河北新報社の八浪英明氏、愛媛新聞社の古田恵一郎氏と、西日本新聞社の吉村康祐氏の論文が収録されている。
先のエントリにも書いたとおり、興味深いのは、圧倒的に後者の内容である。なぜか。遥かに真剣だからである。結局のところ、全国紙のデジタル化の取組は、現状、いずれも紙の「余技」の域を出ない。収益とコンテンツ、そしてそれらに起因した意思決定の関心の圧倒的な中心を、「紙」が占めているからだ。したがって、たとえば、従来の縦割りのガバナンス、取材の手法等々を含めた全面的な見直しには至らず、デジタル部門はデジタル部門でどうするかが、関心の中心になっているからだ。したがって、「記者がTwitterで紙より先に告知を行う」といったアプローチが取組の中心になってしまう。本質のはずがない(加えて、読売は未だソーシャルへの明確なアプローチさえ見えてこない)。
だが、デジタル部門単体で、日本の新聞が紙の新聞と同等の存在感を発揮することなどできるはずがない。「餅は餅屋」ではないが、ITに強いのは当然IT系企業であり、たとえばIT系メディアに決まってるからだ。新聞がデジタルでも生き残っていく方法は、デジタル単体ではなく、紙やその他の資源も含めた総力戦である以外にありえないのではないか。
他方、地方紙は危機感が少し違うようだ。おそらくは、デジタルに限らず、部数減などが深刻な課題となっていて、新しいアプローチを試行錯誤せざるをえない段階に突入しているからだろう。すでに、「余技としてのデジタル」ではなく、新しい可能性を真剣に模索しているように見える。
愛媛新聞社の古田氏の論文内の、松山大との共同研究で得た、若年世代の新聞購読についての結論が印象的だ(この研究の原本が気になるところである)。
学生は新聞に掲載されているニュースそのものに無関心であり、新聞を読むという行為自体が習慣化されていない。新聞購読へのハードルは非常に高く、今の新聞のコンテンツをデジタル化しても購入しない。(古田恵一郎,2014,「求められる新聞社の意識改革――無読層をターゲットにした戦略探る」『新聞研究』757.p.25より引用)筆者も、学生と接触していて、同様の感触を得る。そして、おそらくは「(「社会」を知るために)新聞を読むべきだ」という規範的なメッセージは、彼らに届くことはないだろう。
西日本新聞社は、グループ内の(株)メディアプラネット内に、「デジタルビジネス部」を設け、総合的なメディア戦略を練っているという。河北新報社は、よく知られているように、東日本大震災の情報発信で、紙とデジタルの双方で重要な役割を果たした。
このように、地方紙のなかには、抜本的なデジタル戦略を試行錯誤している企業があることがわかる。思えば、日本の地方紙は、規模からいえば、海外の先駆的な取組を行っている新聞社と変わらないものも少なくない。その意味では、それらをそのままに取り込めるのも、地方紙である可能性もある。
メディアそれ自体の変動期においては、従来の序列が変化する契機が潜んでいる。思えば、現在の全国紙が、統廃合を経て、現状のようになったのも、大正から昭和にかけての総力戦体制下の変動期であった。そのことを思うと、新聞は再び大きな変動期に突入しようとしているのかもしれない。