先日ようやく、今年のちょっとした研究費が取れたので、「研究費取れた&研究費って何?」というエントリを書いた。研究費を取ることの意味と、そもそも研究費と、ぼくの給料ってどう違うんですか、というようなお話。
...というようなことを書いていたら、「税金を趣味のような研究に使わず、社会に有益な研究に使うべき」というコメントをもらっていて、「確かに」と思う反面、いくつかもうちょっと書いてみたいことがあったので、書き足してみることにしたという次第。
まずひとつは研究費の種類にはいくつかの種類があって、科研費のような国がスポンサーになっているもの、もうひとつは民間の財団などのファンドや、企業がスポンサーになるもの、もうひとつは大学自体の資金。大学という組織自体には、うちの場合私学助成が入っているものの、研究費に限っていえば国がスポンサーになっているものを除くと、必ずしも研究費=税金というわけではない。
ところで、そういった些細なことより重要に思うのは、「社会に有益な研究」とはいったいどんな研究だろう、ということ。直感的には今すぐ何かの社会問題を解決したり、ビジネスになったりする研究のようなことをイメージしがちだ。
でも、よく考えればそういったものはあまり大学で研究しなくてよいかもしれない。ビジネスになりそうな研究には、企業自ら研究開発(いわゆるR&D)に乗り出している。しかし、例えばビジネスに直結しなさそうな研究や、社会科学でいえばマスメディア同様に、メディアや政治のオブザーバーとしての役割もあるかもしれない。こういった研究はなかなかビジネスに直結するとはいえないし、すぐに役に立つわけでもないが、中長期にはそのような機能が社会のどこかに存在したほうがよいような気がする。
結局のところ、何が社会にとって「役に立つか」ということは、その時点その時点ではよく分からないので、「直近で役に立つ」かどうかはよく分からないが、「なんとなくいずれは役に立ちそうな気がする(...と、研究者当人がなんらかの理由を考えて、ちゃんと説明するもの)」と「昔から、こういうものは大事である」と呼ばれているものを集めておく、ちょっと変わった場所が必要ではないか。
大学というのは、わりとそういう場所なのではないかと考えている。ときどき期待過剰じゃないかという疑心暗鬼に陥ることもあるけれど・・・(いや、理想主義的な規範もときには元気に仕事するうえで重要だ)