【都知事選】候補者討論会、ようやく実施へ 2月1日夜、ネットで生放送 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140127/elc14012720560006-n1.htm
東京青年会議所も、日本記者クラブも、一定程度伝統的な権威をもつ主体と考えられるが、それらをキャンセルしたときの影響は計算できるものの、ネットの影響を十分に予測することは難しく、キャンセルしづらかったとも考えられるし、もしかすると、そのような選挙に与える影響の予見困難さゆえに、ネットの影響力を無視できないと各陣営が考えたとしても不思議ではない。いずれにせよ、ネット選挙が解禁になって1年と経たないが、選挙において、とりあえずネット選挙対策を行うということは事実上の標準となった。
ところで、「ネット選挙」には、必ずしも利害が一致しない2つの視点がある。一つは、候補者サイドから見たときのもので、こちらはウェブサイト等を通じて、候補者について周知し、共感、投票、寄付金等、自陣営に必要な資源の調達に影響を与えようとするものだ。もう一つは、有権者から見たときの、視点である。こちらは、ウェブサイト等を通じて、候補者について知り、自分が投票すべき候補者や政党を知ろうとするときのものである。
ある意味では、当たり前だが、両者の利害は必ずしも、一致しない。有権者が多くの候補者に関する情報を得るようになると、政党や候補者によりシビアな目を向けることになる。実際には、具体的な政策を打ち出していない候補者、過去に不祥事を起こした候補者、資金の出所や支持母体等を隠しておきたい候補者等々にとっては、あまり喜ばしいこととはいえない。
候補者は絶えず、自身のポジティブさや、共感を集めやすいイメージを発信するだろう。有権者は候補者ほど、直接的なコストを投資しているわけではなく、選挙に積極的ではないのが当たり前だから、分かりやすい利害が明確になっていないと候補者のことを詳しく調べたりはしない。多くの場合、候補者は、有権者よりも、選挙に対して、積極的にコミットする。
このとき、両者のアンバランスはどのようにして、補正されうるのだろうか。個人的には、機能するジャーナリズムではないかと考える。ジャーナリズムは、権力や社会に監視の目を向けるのが本業であるから、有権者の目を誤魔化そうとする候補者や政治の動向をチェックするコストを拠出し、有権者の適切な選択を支援しうる可能性がある。
しかしながら、ネット選挙に対して、ジャーナリズムはどれだけ対応しているだろうか。毎日新聞社と筆者は、2013年の参院選のネット選挙について、共同研究と報道を行った。
2013参院選:参院選期間中のツイッター分析 - 毎日jp(毎日新聞) http://senkyo.mainichi.jp/2013san/analyze/20130731.html2013年の参院選は、ネット選挙解禁が話題になったから、他社も多くの同種の試みを行った(毎日新聞社と筆者の共同研究が、もっとも包括的かつ踏み込んだ内容だったとは自負するものの)。ところが、今回の東京都知事選では、どうか。毎日新聞社と筆者は、今回も同種の取り組みを行っている。
毎日新聞社との共同研究第1弾の公開 http://ryosukenishida.blogspot.com/2014/01/1.htmlしかし、他社からはこうした包括的なネット選挙報道の試みは、一向に登場しない。先ほどの言い方でいうと、候補者サイドのネット選挙の取り組みは選挙を経るごとに、手法とノウハウが蓄積し高度なものになっている。ジャーナリズムは、その進化に対応できているだろうか。
たとえば、ネット事業者7社「わっしょい!ネット選挙」という、共同でネット選挙について扱うことを表明している。しかし、既存メディアかは見えてこない。ネットに力を入れているはずの朝日新聞でさえ、だ。候補者サイドがネット選挙の手法を進化させていくことの意味は、有権者に対して、効果的に動員を促すことだが、その成功は必ずしも有権者の利益や、少し大仰な言い方をすれば、機能する民主主義には直結しないのではないか。
公職選挙法の全面的改正も視野に入れつつ、ネット選挙のさらなる解禁がささやかれるようになってきている。「第4の権力」としてのチェック機能が期待されるメディアが、ネット選挙に取り組まないことで、ネット選挙に期待された透明化や民主主義の改善といったポテンシャルが十分に発揮されない可能性がある。2015年には統一地方選挙、2016年には国政選挙が控えている。メディアのネット選挙報道の技術向上を期待したい。