2013年6月16日日曜日

日本には「政局」を学ぶ機会が少ない?

最近、日本では教育課程で、いわゆる「政局」について学ぶ機会が少ないのではないか、と思うことが多い。拙著が先月末に刊行されて以来、選挙にさほど関心が高くない人たちも含めて、選挙や政治の話をする機会が増えた。そのなかでよくある質問が「ネット選挙解禁で投票率は上がるのですか」である。最頻出だといってもよいと思う。「先行研究によると、投票率にはネット選挙とはあまり関係ない他の変数が効いているのではないか」という話をすると、一様にがっかりされることも少なくない。
若者が「選挙に関心ない理由」語る 鳥大で討論会 - NetNihonkai-日本海新聞 http://www.nnn.co.jp/news/130616/20130616005.html
上述のようなエントリもあるが、それではいったい何が(とくに若年世代の)投票率の低さに効いているのだろうか。きちんと調べたわけではなく、あくまで仮説に過ぎないことを断ったうえでだが、日本の教育課程では政局について理解できる道具立てを学ぶ機会が少ないのではないか、ということに思い当たった。

日本史では概ね第2時世界大戦まで、現代社会や政経では民主主義や三権分立といった原理原則としての「政治」は学ぶものの、現在進行形の政治を理解する道具立ては教わらなかった気がする。その一方で、日本の政治はとくに1993年以後、加速度的に再編に次ぐ再編を行なってきており、首相が代わるのも速い。これでは現実の政治の複雑さがあまりに巨大なものになってしまっているのではないだろうか。そのことが、いわゆる「政治的有効性感覚」の低さに結実しているようにも思われる。先日からの、普段政治を扱わない人に向けて政治を語る仕事を繰り返すなかでのちょっとした思いつきであった。

しかし、その意味でも、ゴールデンタイムに、分かりやすく、かつ、十分視聴者を惹きつけられるコンテンツとして政治を語ってしまう池上彰氏の仕事は大切だなあ、と思ってしまう。