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西田亮介研究室について (about Dr. Ryosuke NISHIDA's Lab.@titech)
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2013年4月21日日曜日

「希望のシナリオ」をどう描くのか、あるいはその難しさ?

昨日、定評ある高校生や大学初年次の学生の動機付けのプログラムを提供していることでよく知られたNPO法人NPOカタリバが主催する「カタリバ大学」に社会学者の宮台真司先生、ノンフィクションライターの藤井誠二さん、元文科省の官僚で最近では映画プロデューサーとしても知られる寺脇研さんと登壇した(近日公開になる作品が『戦争と一人の女』)。

テーマは「希望のシナリオ 震災以後を生き抜く君たちへ」というもの。プログラムの構成は各自が概ね10分程度自分が考える現代社会の論点を紹介し、その後、事前にグループディスカッションを行った大学院生と大学生、高校生の混成3グループの報告を受けて、さらに議論を進めるというユニークなものだった。

震災の話から始まり、「ゆとり世代」をどう見ているか、教育の未来、働き方の未来、就活などが議論の俎上になった。異なる主題でありながら、いずれも関係性の作り方や、信頼の作り方が鍵となった。

宮台先生と藤井さんのスタンスは共通していて、若年世代はあまり恵まれているようには思えず、多様な経験を積み、「学校的な世界観」に依存せず、就活に卑屈にならないようにしようというものだった。ぼくも基本的には同意するものの、最近の大学が置かれた状況などを説明しつつ「それもまた、(現在の社会状況のなかでは)なかなか難しいですね、どうしていきましょうか」というような役回りだった気がする。うまく説明できたか、うまく伝わったかちょっとよくわからないので、書いてみることにした。

宮台先生や藤井さんの時代背景には、現在よりもはっきりとハイカルチャー/サブカルチャー、主流派/アウトローという線引きが存在したことが少なからず影響しているような気がするというのがそもそもの問題意識。ある種の「運動」もそうかもしれない。人々が少なくとも建前として、暗黙の文化や社会の見方についての合意を共有していたので、オルタナティブに取り組むことで獲得できる意味や強度が比較的自明だったのではないかという仮説だ。「そこ」にいけば、意味や強度を獲得できるような場所の配置と意味が比較的明確だったのではないか。

ところが現在では「そこ」の配置が不明確になった。また「そこ」に行ってみても、意味合いがかつてあったものと比べて変化したりしているのではないか。長く続いた円高の影響もあり、海外に行くことのハードルも下がったし、NPOやベンチャーなど体験自体の受け皿も増えた気がするのに、どこか不安さが拭えないように見える。なにせ、アイドルでさえ一組に何十人もいる時代だ。価値観の尺度を作りにくいにもほどがある。鶏と卵の問題ではあるとも思うものの、価値観の尺度が不明瞭になったために、体験のメタな意味づけがうまくできずに、「体験の消費者」になっているのではないか。体験をただ消費しているので、いくら体験を増やしても、もっと得られるかに思えた内実が目の荒いザルを通したように自分からこぼれ落ちていくようなイメージだ。そして期待された何かが獲得できない(ように感じる)ことで、ますます不安感が募るような。まるで対になっているかのように、最近は自己啓発系の言説でも冒険にでることを肯定したり、何かの当事者であることを肯定したようなものを目にする(それなりに、昔から存在したパターンでもあるけれど)。

学生をとりまく環境もそうした状況を助長しているようにも思える。最近では就職活動が激しくなっていることもあって、大学に入学した直後からすぐさまキャリアを考えざるをえないような雰囲気が蔓延している。そこ広がっているのはひどく漠然とした不安だ。大学生活も、そして大学教育のあらゆる場面で就職活動が重しのようにのしかかっている。そしてそんな大学に学生を縛り付け、さらに大学という場所の寛容性を削ぐような風潮も強い。授業回数15回厳格化、出席用件の厳格化、施設利用の用件厳格化、部外者のコントロール等々、もちろんリスク管理と対になっていることは重々承知しているし、FDの重要性も理解しているが、それにともなって失われようとしているものの代償も、少なくないのではないか。大学という場にいるので、こういった条件付きの問題を解くべく努力するけれども、やはり大学や学校的なものが正規のカリキュラムでなんとかするというのも、どうも難しそうで、むしろ学校的なものの権限移譲というかよりいっそう「社会」との連携が必要になってくるのではないか。

...といった次第で、昨日は「リーダーシップの涵養」や多様な経験の重要性が、これまた就職活動で注目されるようになってきたものの、なかなか現在の環境でそれらを考えることを強要される学生たちも大変なのだ、という宮台先生や藤井さんと、学生たちの距離を近づけるような翻訳業のような仕事をしてきた。結局「昔が良かった」でも、「現在が最高」でもなくて、時代状況等を踏まえて眺めながら、各自ある種の不確実性とリターンを計算してリスクテイクを試みていくしかないのではないか。それがもしかすると、「希望のシナリオ」を描くということなのかもしれない、というのが暫定的な知見だ。

しかしまどろっこしいことをいろいろ書いてしまったけれど、よくよく考えてみると自信や不安はぼくもそうだけれど、若年世代はいつの時代も向き合ってきたもので、あまり深刻にならないというのが一番の特効薬なのではないかという身も蓋もないことを思ってしまったりもするので、なかなか難しい。

もうひとつ、宮台先生や藤井さんのある種ストロングスタイルの言説を現在の学生たちがどう受け取ったのかも興味があるところだけれど、長くなってきたので、また期を改めて・・・

(昨日、藤井誠二さんの新刊をいただきました。あとで拝読させいただきます)