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2012年11月10日土曜日

博士課程修了者のキャリアパス創出に関する問題の所在について

この4月に立命館大学に赴任することになったのは、以前にもどこかで書いたかもしれないけれど、博士課程修了者、とりわけ人文社会科学系の博士課程修了者のキャリアパスを大学、そして社会のなかで創出し、かつそのために必要なプログラムを作るという仕事が大きなウェイトを占めている(博士課程キャリアパス推進室という部署の運営委員ということになっているhttp://www.ritsumei.ac.jp/ru_gr/g-career/about/outline.html/)。
半年ほど経過して、新しい環境にもすこしずつ慣れ、ようやく棚卸もだいぶ済んだので過去の高等教育行政の経緯なども含めて、問題の所在らしきものが見えてきた気がするので整理も兼ねて少しまとめてみることにしたい。

「高学歴ワーキングプア」という言葉が一時期メディアを流通したが、大学院の博士課程を終えても、そして学位を取ったとしてもなかなか就職することができない。事実としてそのような状況が存在することは、文部科学省や経済産業省等が公開してきた報告書などを中心にさまざまな資料が示唆している。最近のものでは経済産業省が日本総研に委託した『平成23年度産業技術調査事業 中小中堅企業におけるポスドク等高度技術人材の活用可能性等に関する調査報告書』 などがある。同調査によると、一年間の大学教員採用者数と博士課程修了者を比較した数字があるのだが、1997年にはじめて後者が前者を上回っている。

もちろん大学教員のポストは、その年博士課程を修了したものと対応するわけではなく、過年度に修了したものも応募するから単純には比較できないが、大学教員というポストを人材の需要と供給という関係で見ると、供給が需要を上回ったことを示唆している。その後、現在に至るまで、需給状況のギャップは拡大し続けている(2000年時点で約2000人の需給ギャップ、2003年で約4000人、2006年で約4500人程度)。

また同調査は、大学の本務教員数自体は増加しているものの、37歳以下の若手教員が占める割合が、2007年で21.3%であり、1998年の25.2%から下降基調にあることを示唆している。一般に博士課程を修了するのが、27〜30歳頃であるとことを考慮しても、厳しい数字だということが示唆される。

さらにポストドクターの延べ数が、約18000人であることや、本来テニュア・トラックが一過的なキャリアパスでありながら、ポスドクの転職状況を調べると、もっとも高い割合を占めているのがポスドクからポスドクというキャリアであることなどが記されている(調査対象者の約60%が同一機関でのポスドク継続、それに次ぐ約14%が他機関でのポスドク継続、そのあとにようやく大学教員が約8%で続いている)。

たしかに大学院博士課程を修了しても全体のトレンドとしては、厳しい就職事情が待っていることがわかる。需給ギャップが生じることになったのは、1990年代以後の大学院重点化の施策(1996年からの「ポスドク1万人計画」)にその起源があるが、そのほかにもCOEなど大学院を重視した施策が相次いだ。大学院関連の教員の採用と、それに伴った博士課程の定員拡大が同時並行で進んだというわけだ。

こうした一連の高等教育行政の責任の所在についてもいずれは考えなくてはならないものと思われるが直接の問題解決には貢献しないので一旦置いておくとして、現在気がついた(ものの、あまり世間で気づかれていないように思われる)阻害要因と思しき要素をマクロなものから列記してみたい(※ただし、これらはいうまでもなく暫定的な仮説に過ぎず、かつ、ごく個人的な整理・見解であって、ぼくが所属するあらゆる組織等の公式見解では一切ない)。

1.そもそも政策当局と(多くの)大学が抱える諸問題のなかで相対的に見ると、大学院博士課程とPDのキャリアの問題は「規模の小さい問題」であるため、問題解決の優先順位があまり高くない?

大学の学生は一般に、学部、修士課程、博士課程から構成されている。大学院のボリュームが大きい東京大学のようなケースはあるものの、とくに私立大学ではとくに博士課程のボリュームは相対的に小さい。全国で見ても、大学生の数は2008年時点で学部学生は約250万人それに対して大学院生は修士課程博士課程あわせても約26万人であるから、10分の1程度の規模にすぎない(博士課程に限ると、近年は7万5千人程度で推移)。

より具体的に立命館を例にとりあげてみると、学部学生が約3万2千人、修士課程が約2300人、博士課程が約430人という構成になっている(「データで見る立命館」http://www.ritsumei.jp/public-info/pdf/public04_11_2-6.pdf)。余談だが、立命館は学生数が多く、日大、早稲田に次ぐ学生数らしい。そこでもう少し一般的な規模の私学として関西学院大学を例に取ってみると、学部学生が約2万3千人、修士課程が約700人、博士課程が約160人(大学院は専門職大学院をのぞく)という構成のようだ(http://www.kwansei.ac.jp/c_cppo/attached/0000023963.pdf)。大学院、とりわけ大学院博士課程の規模は学部と比べると相対的にかなり小さいということがわかる。

今更いうまでもなく現在の大学は多くの問題を抱えている。他方で若者の絶対数の減少とそれらに伴った経営基盤の悪化のなかで動員できる資金的、人的資源は相当の制約を受けている。そのため文科省や各大学の組織では眼前に存在する諸問題の解決にあたって優先順位をつけて取り組む必要がある(実態はともかく、合理的には、そうせざるをえないはずである)。だが、「合理的選択」を行うと、ともすると学生数のボリュームが大きい学部の問題解決を政策課題として優先する誘因が働いてしまうことは想像に難くない。大学院博士課程の問題は確かに一般的な意味において「重要な社会的課題」だが、政策当局やガバナンスの現場に降りてくると「必ずしも相対的に優先順位が高くない問題」になってしまうという「齟齬」が生じていることは想像に難くない。現にたとえば多くの大学において博士課程の問題に特化して取り組むスタッフはさほど多くはないだろう。

(ちなみに身内贔屓ではないけれど、立命館の事務方の、少なくともぼくが日常的に接する方々は皮肉な意味ではなく優秀で仕事が速い。ここで書いていることというのはそれらに対する嫌味ではないことは特記しておきたい(おもに普段一緒に仕事をしている方々に向けて)。立命館は比較的早期に博士課程修了者の問題を認識し、さまざまな支援施策に取り組んできた(http://www.ritsumei.ac.jp/ru_gr/g-career/)。また博士課程キャリアパス推進室という専属の部局も設置している。もちろん現実には各種指標を参照しても、それらが十分うまく機能しているとはいえないのだが、この問題に特化したスタッフ(つまり、ぼくですが)を採用したことを鑑みても、少なくとも解決に向けた強い意欲を持っているといえる。実際大学の長期政策(『R2020』)のなかでも、ライフサイクルから見た若手研究者の支援を明記している。このような大学はなかなかないだろう)

2.決定的に需要不足にもかかわらず、供給の論理で議論を行なっている?

冒頭で見たように、大学院博士課程のキャリアの問題は大学教員しかり、民間しかりそもそも需要が不足している(日本の大学では博士課程修了者の供給削減を大学が主体的に選択することは現状ではとても難しい。したがって需要不足と捉えるしかない)。したがって何はともあれ人材に対する需要を増やさないことにはこの問題を解決することは困難に見える。ところがよかれあしかれ、大学というのは自治を重んじる組織であるから、一部に博士院生のインターン派遣の試みなどはあるものの学内中心に博士課程の問題を解決しようと悪戦苦闘しているのではないだろうか。もちろんそれは重要だが大学内での議論はあくまで供給側の論理であって、市場や社会全般から見た需要の論理と整合的とは限らない。

とくに民間における需要の不足が、博士課程修了者に対する通俗的な固定概念(「頭でっかち」「コミュニケーションが難しい」等々)や、日本における雇用就労習慣に関連する問題と、当事者が民間に就職すること=研究者としてのキャリアを断念する、という必ずしも適切ではない認識を持っていることの3点が異なった認識のなかで輻湊していることに起因するように見受けられる。学内で議論しつつも、問題の所在を把握する段階から学外主体(つまり、企業やNPO、所轄官庁等)と連携し、擦り合わせることで「誤解」をとき、かつ需要の論理を取り込んだプログラムを作る必要があるように思われる。

3.政策・施策の担当者は「非当事者」であり、かつ、担当組織が分散していて縦割り行政の狭間に落ちてしまいやすい?

よく考えてみればあたりまえなのだけれど、この問題に係る大学教員を除く多くの人たち――たとえば文科省の担当者にせよ、大学の事務方の多くの人たち――は研究者ではないし、大学院博士課程を出たわけでもない。したがって「研究者」のインセンティブや業績を蓄積するとはどういうことか等々、そしてもっとも重要な「研究者のキャリア」像について、具体的かつ経験的に理解できている担当者はそれほど多くはない。そして国でも、大学でも担当者は数年スパンでローテーションしていってしまう。言い換えれば「非当事者」が、資料を通じて知った「博士人材像」に対して施策をつくるという状況が生じてしまいがちである(もちろん政策形成の少なくない現場でこうした非対称性が生じるが、政策当局と当事者のあいだで直接交渉や交流が生じることが少なくない。ところが大学の場合は当事者ではなく、大学教員や事務があいだに入ることで実際の当事者にまで直接アクセスしないケースも少なくない。やっかいなのは、大学で役職がついている(比較的年配の)教員が博士院生だった時代と、現在の大学院が置かれている状況は大きく異なるが、その点は看過されてしまいがちである)。

研究者のキャリアが学界と産業界にまたがるものであるから、国も多くの大学においても「キャリア」についての所轄が複数にわたっており、かつそれぞれ立脚する視点が違う。国の場合は内閣府、文科省、経済産業省(そしてさらに内部で複数の部署にわかれている...)あたりで、大学の場合は各研究科と研究マネジメントに関連する部署と教学に関連する部署、さらに(民間での)キャリア開発に関連する部署といったところだろうか。さらにポスドクは学生ではないから、博士院生とは所轄が異なっていることもある。

研究者はキャリアを、培った研究力や付随して醸成される能力をコアコンピタンスとして、それらを柔軟かつ多様に運用することで切り開いていく。それはまさしく総合力が問われるもので、かつ日本で一般的な新卒大学生のキャリアと比較して異なったものであるから、そのような特殊性に対して経験的な理解が乏しく、かつ所轄の分担も細切れになっていることは、博士院生の「総合的なキャリア」構築の阻害要因になっているのではないか。

4.当事者自身は自身のキャリアについては主体的に取り組むはずだが、構造的な問題解決に取り組む誘因を欠く?

ところで、ここまで簡潔にぼくなりに整理を試みてきたのは、博士課程修了者のキャリアパス創出にあたっての構造的な阻害要因だが、よく考えてみるとこの問題は当事者にとっては取り組む誘因を欠く(したがって当事者が構造問題を解決するというアプローチは採用しにくい?)。高等教育研究などを専門にしない限り、当事者である博士課程院生たちは研究の推進と自身のキャリア開発で必死であろう。加えて構造問題は変化とその効果に一定程度長い時間がかかることが予想されるから、当事者本人には短期的にはその利益が還元されない。当事者にとっては、当事者自身が構造的な問題解決に取り組む誘因が見当たらない。また意思決定の権限は大学当局や行政当局にあるため院生が直接関与しづらい領域である。また下手に対立姿勢を見せることで、当事者にとって直接間接の不利益につながりかねないように思えてしまうあたりも、構造的な問題解決に当事者が積極的にかかわろうという意欲を削いでしまうように思える。

...
少々長くなってしまったが、ここまで簡潔に整理してみた。この問題の政策における解決の糸口は、今のところまったく見えない。たとえば『科学技術基本計画』は期を超えて、若手のキャリアの問題を取り扱っているが、若手研究者を取り巻く環境が厳しいが、研究力の基盤を支えるという視点からしても改善が必要であること、そのためにインターンやマッチングを推進することを述べている。一貫して同様のメッセージと、同じ手法が推奨されているということは、日本の政策文書の常だがそれらが功を奏しておらず、それでいて別のアプローチが見つかっていないというメッセージを発している可能性が高い。


おそらくこの問題を他の諸課題に優先して解決する必要があるという「強いメッセージ」が必要と思われる。この「強いメッセージ」は文科省、大学等々の主体が学内、学外、そして社会に向けて発信することが望ましいのではないか。理由はシンプルで「大学院博士課程修了者の出口がないらしい」ということ自体は「高学歴ワーキングプア」などの議論を通してそれなりに社会のなかで認識されていて、優秀な人材(とくに研究人材)が博士課程への進学を検討する際に重要な阻害要因となっているからだ。研究力の向上や、日本の大学の国際的地位向上が政策目標のひとつになっている以上(そしてそのような目的自体は合意できるなら)、大学院教育を通した優秀な研究教育人材の育成と、教育として大学への還流が不可欠だが、いくら優秀なカリキュラムやプログラム、政策を作ったところで、そもそも優秀な人材が存在しなければ、絵に描いた餅になってしまう。このように考えると博士課程修了者の出口の不在という問題は一刻も早く解決しなければならないものと思われる。


...実は「試行編」に近い、新しいプログラムや構想の話などもあるのだけれど、ちょっとまだきちんとかたちになっておらず、さすがにここに書くには早すぎるように思われるのでまたしばらく期間を置いてまとめてみようと思います。