2012年7月28日土曜日

2012年7月28日テレビ朝日『朝まで生テレビ!』「激論!護憲・改憲・新憲法」


2012年7月28日朝まで生テレビ「激論!護憲・改憲・新憲法」に出てきました。
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番組進行: 渡辺宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)、村上祐子(テレビ朝日アナウンサー)
司会: 田原 総一朗
パネリスト:
辻元清美(衆院憲法審査会委員、民主党・衆議院議員)
西田昌司(党憲法改正推進本部起草委員、自民党・参議院議員)
東浩紀(早稲田大学教授、㈱ゲンロン代表取締役社長)
荻上チキ(評論家、「シノドスジャーナル」編集長)
金慶珠(東海大学准教授)
小林節(慶応大学教授)
小森陽一(東京大学教授、「九条の会」事務局長)
宋文洲(ソフトブレーン創業者)
西田亮介(立命館大学大学院特別招聘准教授)
八木秀次(高崎経済大学教授)
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http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/より

...なんというか、とてもハードな番組でした。田原さんのスタイルと存在感で持っている番組なんだなあ、と改めて。

2012年7月21日土曜日

2012年7月25日「「ソーシャル」な関心をもつ若者の動き方/学び方の現在」@立命館大学ボランティア・サービスラーニング研究会

2012年7月25日「「ソーシャル」な関心をもつ若者の動き方/学び方の現在」という題目で話します。衣笠キャンパスの立命館大学ボランティア・サービスラーニング研究会です。学内の方はふるってご参加ください。

http://www.ritsumei.ac.jp/slc/event/detail.html/?event_id=27

所属の部署ではないですが、こうしてお声がけいただけるのはありがたいです。

2012年7月17日火曜日

『日本2.0』発売開始


既にネットでは話題になっていますが、今日から『日本2.0』が発売になります。ご存知のように、思想家の東浩紀さん率いるゲンロン社のお仕事です。今回地方の消費社会化と自治に関する論考と憲法草案(おもに地方自治関連)で参加させていただきました(詳細下記)。

僕にとっては『思想地図』というのは特別な媒体なので、とても嬉しく思います。というのも、2008年の年末に当時NHK出版が版元だった『思想地図 vol.2』での論考と対談が、当時修士だったぼくの初めての紙媒体における単独仕事だったからです。そのときの論考も、やはりフィールドワークをベースにしたものでした。


ずいぶん、月日が経って、なんだか当時想像していた路線とはずいぶん違う方向に来てしまったような気がしなくもないですが、ふたたびこうして東さん、そしてゲンロンに移った『思想地図』とお仕事できることとてもうれしく思います(ゲンロンはいわゆる論壇誌等々と比べても大変丁寧な作り込みでした)。


ぜひお手にとっていただければ幸いです。

西田亮介,2012,「『不自由』な日本の地方――消費社会化は民主主義の敵か」『日本2.0――思想地図β vol.3』422-34.


楠正憲・境真良・白田秀彰・西田亮介・東浩紀,2012,憲法2.0」『日本2.0――思想地図β vol.3』102-212





2012年7月14日土曜日

「第4回 過去の「投資」の転用 ~情報産業に特化した環境を創る (前編)」『With a Partner☆得だね!情報 Vol.314』

恒例のメルマガ原稿を書きました。

西田亮介,2012,「第4回 過去の「投資」の転用 ~情報産業に特化した環境を創る (前編)」『With a Partner☆得だね!情報 Vol.314』NTTコミュニケーションズ.

2012年7月12日木曜日

なぜ日本で「白熱教室」が難しいのか?

今年から大教室の講義を担当するようになった。
大学の講義を担当してしばらく経ったが、これまで幸か不幸か小規模な20〜50人規模のクラスばかりを担当してきた。この規模のクラスは良かれ悪しかれ、受講者に目が届く。徐々に顔と名前が一致して、学生の個性も分かってくる。今年は時間割の関係かそれとも異なる何かが災いして、どの授業もずいぶん大規模化してしまった。これまでのクラスと比べると、ずいぶん多くの学生が履修するようになった。


百人を越えるような規模のクラスになると現実には全ての学生の個性を把握することは難しい。なかなか名前は一致しないし、だいたい学生は講義に集団でやって来て、同じような場所に座るから、グループでしか認識できない。しかも交代で出席していたりする。この規模のクラスになると、寝る学生、内職する学生、途中で出て行く学生、いずれも数週間でパターン化してくるが、いかんせん手の施しようもない。そもそも、こうした大規模講義の是非を問う声もあるかもしれないが、大学経営やカリキュラム上なかなか変えられないというのも現実なのだろう。こうしたクラスでは質問を振ると嫌そうな顔をされ、感想を問うと黙って下を向く、確かにこちらの力量に問題があるのだろうけど、こちらもそれなりに心が折れる。

こんなとき、マイケル・サンデルが脳裏をよぎる。サンデルの哲学の講義は、ハーバードでもっとも人気があるとされ、それが日本でも「白熱教室」として大きな話題を呼び、著書はベストセラーになった。そのサンデルの講義は大教室で行われてはいるが、数百人の学生に囲まれながらも、どんどん回答が困難な問いを出す。すると世界中から集まってきた優秀な学生たちがこぞって挙手し、回答しようとする。サンデルはその回答を鮮やかなまでに哲学史に結びつけていく。


確かにサンデルは優秀な教師としての資質を持ち、かつ同時に長いキャリアに裏打ちされた教育経験を持っていることだろう。しかも世界で一流の大学だ。単純に比較はできないし、してもしょうがないことは百も承知だ。それでも大学で講義を持っているものなら、きっとどこかでサンデルのような講義に憧れるのではないか。曲がりなりにも誰よりも「知的なもの」に関心があるからこそそういう職種についたのだし、一般に研究者は議論を好む。意見が一致せずとも、高度な知性を持つ相手と議論を深めたいとどこかで願っていると思う、たぶん。


日本版「白熱教室」が放送されてはいることからも分かるように、日本の大学、日本の教員によるサンデルのような授業が皆無というわけではないにせよ、どうにも現実は厳しい。殊、ぼくに限っては今のところ白熱した大教室講義運営のセオリーはつかみあぐねている。世の中は「グローバル化」や「リーダーシップ」に対する半ば強迫的な言説は溢れてはいるものの、多くの学生(と大教室における講義)は未だそちらにはいけずにいる、というのが少なくともぼく個人に限っていうなら現実だ。


しかし青臭いかもしれないけれど、大学が教育機関である以上、学生に倫理的な変革(気判的な解)を押し付けるよりも、まずは大学が、講義が、そしてぼく自身が変わるべきだという認識を持つ。繰り返すけれどぼくの力量に主たる問題はあるものの、横に座る級友の顔色を見て、連鎖する学生を見ていると、個々の講義の取組では限界があることも感じざるをえない。個々の授業の取組はそもそも課題が多くなったりすると履修自体が敬遠されるし、学生たちの横の同調圧力は強い。これらの要素が「白熱教室」を阻んでいるのはほぼ間違いないと思うのだけれど、これを「日本人の特性」と揶揄し、現実味がないままに、事実上多くの学生が結果的には敬遠する過剰な「グローバル化」や過剰な「リーダーシップ」の規範論を説くことにはあまり意味がないと思うようになった。必要なのは多くの学生にとって実効性ある解ではないか。

それがどのようなものかはまだ漠然としていてぼくもよくわからないし、そもそも「自分の力量をあげろ」という要素を多分に含むので難しいのだけれど、漠然と最近思うのは同調圧力の高さといった「日本人らしさ」を活かして、初年度教育に、通過儀礼的な要素を入れるということだ。大学に入ったら、それまで習ってきた横並びの「正解」を出すことではなく(というか、それらを捨てて)、正解がない問題に対して、級友たちと議論し、試行錯誤することに意味があること、そのために感想と意見を表明することが第一歩なのだ、ということを経験的に理解するような場を作ったらどうだろう。それでもぼくたちは「白熱教室」に到達しないだろうか。近年の大学では基礎ゼミのように、早い学年でリサーチや、プレゼン、レポートの書き方を並ぶ場もあるが、異文化体験と呼ぶまでにはいたっておらず、個々のクラスに委ねられているように見える。


稀有な例は、嘉悦大学のようにモチベーションの場づくりで定評あるNPO法人NPOカタリバなどと提携して、初年度教育に強く介入しているケースがある。知人たちからの伝聞に過ぎないが、中退率の改善などに大きく貢献していて、実践する側も手応えを感じているようだ。日本中退予防研究所も初年度教育に力を入れている。あるいは、学部から博士課程までいたSFCに思いを馳せると、あそこも「SFCらしくあること=なんでもいいので面白いことをかたちにすること」に対してきわめて強い同調圧力がある場所だった。それは入学の最初に誰しもが感じたのではないか。先輩や教員らもそういうことを望んでいたし、そもそもそういった「外れ値であること」が許容される場所を希求して望んで全国からやってきた同級生も多かったように、少し懐かしく思い出される。それはある種の通過儀礼に相当したのではないか。もともとそういう志向を持っているかどうかはさておき、学年丸ごとそのような経験を積ませるという意味において。


福沢諭吉が「半学半教」といったように、ぼくたちにも議論を通じて学び「伝統」があったのかもしれない。過剰に制度のせいにせず、かといって諦めもせず、個人の教育の力量を磨きながらシステム変革の問題提起をしていきたいと改めて思った。

※1ずいぶん、とりとめもなく長くなってしまったのは、いまいち核心が持てないからかもしれない。

※2実は大学院改革のお仕事のもっとも最初にとりかかるべきポイントもこのあたりにあるんじゃないかと最近思っているのだけれど、あまりに長くなってきたので、機会を改めて。

※3白田先生にプッシュしていただいて、読んでる人が増えたので、「てにをは」レベルで直しました。夜中にさくさく書いたのでちょっと日本語変でした(7/13朝)。









2012年7月7日土曜日

鯖江再訪

今週前半、福井県鯖江市を訪問した。
鯖江市はもともとメガネのまちとしてしられているが、ここ数年「情報のまち」としての知名度を高めている。特に公共データの公開に積極的で、公共LOD賞という賞を受賞したことでも知られているように、日本屈指のオープンガバメントを推進する自治体なのだ。
以前から訪れたいと思っていたのだが、つい数ヵ月前にW3Cのチームとご一緒させていただくという稀有な機会があって訪問は実現した。

今回は政策と組織設計について知りたくて、単独で訪問したのであった。鯖江市役所情報統計課のみなさま、前回もアテンドいただいた(株)jig.jp福野泰介さん、鯖江市地域活性化プランコンテストを主催する竹部美樹さんらに大変お世話になりました。
結論からいうと、「素晴らしい制度や組織設計があるのではないか」という外部者にありがちな期待と仮説はもろくも崩れ去り、鯖江市の情報化がより大きな文脈のなかで成立しているのだということを知りました。現場に出て仮説が崩れ去るというのは、一瞬がっかりしますが、フィールドワーカー冥利につきるわけで、どうまとめようか再考します。

しかし鯖江というのは不思議なまちで、すごく住みやすく感じます。駅前にはホテル、病院、レンタカー、中心市街地があり、中心市街地の飲食店はちゃんと営業している。チェーンのカフェこそないものの、地元の喫茶店では無料の公衆無線LANが飛んでいます。街中も市の公衆無線LAN事業で、無線LANが入る多くの場所があります。また書店も2店も営業しています。一般に中心市街地のなかで書店はかなり早期にシャッターをおろしてしまう印象がありますが、ちゃんと新刊も入荷しているようでした。また中心市街地には偶数月と奇数月交替で車を道路に止められるようになっている。また寺社が複数あり、いうまでもなく魚介類と梵というおいしい日本酒がある。地元の商店も「ローカルオンリー」というわけではなく、きちんと内装等をアップグレードしています。これはきちんと調べていないのですが、少なくとも中心市街地は電線の地中埋め込みをやっているのではないでしょうか。電線が視界に入らず、気持ちの良い視界でした。NPO活動も盛んだと聞きました。今回は立命館の立地する京都から向かったのですが、特急利用で1時間15分くらいでしょうか。とても近い。情報や政策と無関係に、好きなまちといえるでしょう。ぼくは典型的な「(不便でも、人間味と情緒に溢れた)地方が好き」というタイプの研究者ではないので、少なからず驚きました。また必ず来鯖(「鯖江に行く」という意味だそうです)します。直近だと、8月4日に開催される「電脳メガネサミットin鯖江」になるでしょうか。お時間設けてくださった関係のみなさま、本当にありがとうございました!


(初めての電脳メガネ。装着させていただきました)

(JR鯖江駅。七夕の飾り付け

(鯖江ドッグ)

(サバエドッグ。米を豚肉で巻いたものが揚げてある。美味)

(中心市街地内の道路に駐車を認める看板)

(新しくできた眼鏡会館内のカフェの小物。鯖江には随所にメガネ関連製品が)





2012年7月5日木曜日

旅というのは大人の楽しみかもしれないと思うようになった。むろん、ただ知らない土地へ行き、新奇なものを眺めることはだれでもできる。ここ数年、仕事でいろいろな土地に赴くようになった。結果として知らない土地を訪れ、知らない人々に話を聞き、初めての人たちと食事して酒を囲む機会が格段に増えた。知らない人たちから話を聞くときには、自分にも話すべき話題が少なからずあったほうがよいし、少なくともそう思われたほうがよいだろう。会話というのは相互に話すことで進んでいくのだから、「話す価値がない」と思われてしまってはないけない。そう考えると、年を重ねて大人になると、何がしかの蓄積は少しずつでも増えていく。また研究というようなものを生業にしていると、他所の土地の取り組みや国の動向についての知見も増えていく。こちらにも話したいということがあると、畢竟話は弾み、酒は進む。そう考えると、もともと知らない土地を訪れることに対してあまり積極的ではなかったものの、徐々にそうした行為を楽しめるようになってきたような気もする。せっかく生業なのだから、もっと楽しくなってほしいとも思う。